上娘21才になりました。
21才と言えば、私がパートナーと同棲し始めた年齢。私も年を取るはずです。
さて、21才になった娘曰く、
「結婚するにしても、基礎をしっかりしておきたいから今は美容師としての勉強をする」
と。・・・私が21才の時よりよっぽどしっかりしています。
学校に入って2か月目で就職先(卒業は二年先)を見つけ、今はその会社でバイト中。
「青田買いもいいかもね」
と雇ってもらったそう。資格もないのに、ありがたい話です。
たまたま人事の方が沖縄出身で、うちの娘が「沖縄のクォーターです」と自己紹介したら「家族だね」と言ってもらったそう。
それも縁ですよね。
娘は沖縄のクォーターで、高知のハーフです。お酒は強め。
着物の授業をするので、着物を買うお金を貯めてます。着物を買うお店にもすでに顔を出して、なじみになるべく通っているそうです。いろいろ教えてもらったりしたいそうで。
生意気なことも言いますが、私が若い頃より先のことを考えているのは個性なのか今の子だからなのか。
でも典型的発達障がいで、アスペルガー症候群だったので育てにくい子でした。
怒っても褒めてもなだめても、言うことを聞かないんだもの。
どうすればいいのか本当に大変でした。医師が権威の方で本当にお世話になりました。
発達障がいの子は、言葉が心に届きません。だから何を言っても無駄。
だから本人の経験がすべてなんですよね。だけど、しつけは我が家は厳しかったです。
言っても聞かないから聞くまで言い聞かせるしかない。理屈で。
「親」と言うものを私は知らなかったので、人間として接してきました。
娘に「親と言うものを私も知らないから、「ままごと」がわからなかった」
と言われて納得。
私は人生のステージで「親」と言うものを演じてこなかったから、娘もそれを知らないわけで。
発達障がいの子は本当に育てにくいです。でも医師が言っていました。
「種を植えたら必ず花は咲く」
と。植えた種が正しいければ、正しい花が咲くんですよね。
私は娘を産んで育ててるときは、ホント大変でした。男が子供を産んだも同じ心境でしたしね。
心理学を学び、対処することでそれなりの花を咲かせました。良かったなあと思っています。
施設に送ったり、精神科病棟に入院させたりしましたしね。
コツは自分だけで抱え込まないこと。
発達障害児は本当にこちらがノイローゼになるくらい育てにくいです。
だからこそ行政や病院などたくさんの公的機関を巻き込んでください。
今の時代は私が子育てしていた時より、良くも悪くも発達障がいに理解があるので少しはマシになっていると信じています。
私もたくさん死にたくなりましたが、子どもは成長します。
育てている最中はそんなこと思えないんですけどね。
ホント大変でしたねぇ・・・。